落花 第十八話

自分と同じ程度か、もしくはそれ以上に何も知りはしないだろう相手から、いったい何を訊き出す ことが出来るというのか。などと考えると同時に、その―時に獣並の―勘の良さと直感で、何かしら 感じとっていた可能性も否めず、また、彼の眼から見た姿について訊いてみたいとも思った文次郎は、 半ば手掛かりを得ることは諦めつつ、小平太の元にも話を聞きに行くことを決めた。 予想通り、伊作の失踪のことも泉に関することも知らぬ小平太は、急な文次郎の来訪に首を傾げは したが、目的を深く追及してはこなかった。そのことを、文次郎は小平太の細かいことを気にしない 性格故だと解釈したが、彼には彼なりの考えと理屈があると知ったのは、当たり障りのない話題に 折り込むように、泉の母親について何か知っているかと訊いてみた答えからだった。 「芯が強くて、何があっても決して泣かない人で、『薄闇なら判らない汚れを、白日の下に晒され  見せつけられるのは真っ平御免だ』って身請け話は断ったけど、仙蔵の子だから産んだんだ。って  言い残して逝ったらしいよ」 滅多に相手について口を割らない仙蔵が、いつだかの酒の席で、それだけ漏らしたことがあるのだという。 「……確かに、いっちゃんというかいさっくんの泣き顔って、一度も見たこと無いよね」 ポツリと付け加えられた小平太の一言に、文次郎は息を呑んだ。 「小平太。お前、気付いて…」 「あのさぁ、みんなしてわたしのこと、『深読み出来ない単純馬鹿』とか思ってるみたいだけど、  わたしだってお前らの同期で、現役の忍びなんだよ?」 「……すまん」 考えてみれば、学生時代から小平太は、勘に基づきはしているが、時折論理的な推理を働かせることが あった。しかも時と場合によっては空気を読むことが出来ることも、同期の者は知っている筈だった。 「いいよ。実際、腹の探り合いは好きじゃないし。でも、『いつか話して』って、いっちゃんに伝えて。  あと『何かあるって判ってるのに、何もしてやれないのは歯痒かった』ってのも」 「そこまで気付いていたのか。……てぇことは、何も知らず気付いてなかったのは、俺だけってことか」 いつから、何をどこまで勘付いていたのかは知らないが、自分よりもよっぽど多くのことを知っているの ではないか。と、文次郎が自嘲気味に零すと、小平太は彼にしては珍しい苦笑の表情を浮かべた。 「わたしは、長次と同室だったから。……二三年の頃は、結構しょっちゅういさっくんが長次の所に  駆け込んで来ててね。いさっくんから席を外してほしいって言われることもあれば、長次に目線で  促されることもあったけど、そういう時は大抵自分から部屋を出るようにしてたんだ。……わたし  には聞かれたくない話があるってのは、あの態度を見ればすぐに解ったからね。それにさ、文次郎。  お前だって、多少は何か気付いてただろ?」 確かに、「何かある」こと位は解っていた。しかも伊作の精神状態が最も酷い時期に、唯一その傍に居る ことの出来た仙蔵とは同室で、邪魔者扱いされて仙蔵に蹴りだされたことなども、数えきれない程ある。 「……先輩とか先生どころか、わたし達まで警戒して怯えていた頃のいさっくんの態度が、どういう人と  似ているか、わたしは薄々解っていたんだ。だからこそ、お前と付き合いだしたって聞いた時は、心底  驚いた。…ついでに、子供が出来たって聞いた時もね」 小平太の言わんとする意味のとれた文次郎には、返す言葉など無かった。 「質したことはないけど、長次や留三郎や仙蔵が、当時から何があったのか全部知ってて、その上で  いさっくんのこと護ってたってのは解ってた。だから、その所為でお前が目の敵にされてることも。  で、長次と留三郎は純粋に身内感覚で愛しんでいるんだろうけど、仙蔵だけはちょっと違うのかも  しれないって気付いたのは、あの日お前達が話してる間、四人で町をぶらついて時間を潰してる時。  …あの時仙蔵は、怒ってもいたけど、衝撃を受けて沈んでいるように、わたしには見えたんだ」 その時からずっと、仙蔵は伊作に想いを寄せているのではないかと、小平太は考えており、泉が生まれた ことを知らされた時は、諦めたか忘れるために別の女に逃避したのかと推測したが、仙蔵の零した人物評 を聞いて、解らなくなったのだという。 「今日、お前が来たことで推論が固まったんだ。……何かきっかけがあって、仙蔵はいっちゃんに想いを  伝えた。そして理由は分からないけど、いっちゃんは一旦は仙蔵を受け容れて泉が出来た。だけど泉を  産みはしたけど、いっちゃんは仙蔵じゃなくてお前を採った。その辺のことが全部露見して、どうして  いいか解んなくなっていっちゃんは姿を消した。とか、そんな所だろ?」 「……。俺もよくはわかんねぇから、お前らに訊いて回る羽目になってんだが、概ね合っている筈だ」 概ねどころか全て合っているが、その判断はこの時点では文次郎には出来なかった。ただ、ここまで 解っているのなら、その理由もある程度は推測出来るのではないかと思い訊いてみると、バッサリと 切り捨てるような言葉が返ってきた。 「わたしはいっちゃんじゃないから解らない。それに今言ったことが、合っているとも限らないし」 「……そうか」 「でも、可能性として考えられることはあるよ。…五年か、六年に上がった頃だったかな。いさっくんが  自分に言い聞かせるように『恐くない』とか『大丈夫』って呟きながら、息を整えてるのを何度か見た  ことがあるんだけど、アレは大抵長期休みに入る日か、お前も外泊とってる休みの前だった。それって  つまり、それだけ覚悟がいるけど乗り越えようとしてるんだろうな。って、わたしは解釈してたんだ。  でさ、一個訊くけど、泉が生まれる前後で、その手のことで何かいっちゃんに変化あったりする?」 一歩間違えば下世話な質問にも聞こえかねない内容に思えたが、躊躇しながら文次郎はそれを肯定した。 「あー、まぁ…要求というか、主張が若干増えた、ような気がしなくもない」 「そっか。じゃあ、当たってる可能性高いかな。…多分だけど、確かめてみたかったんだと思うよ」 「何をだよ」 「お前が特別なのかどうか」 あやふやな感情のまま所帯を持ち、伊織を産んでもまだ、伊作の中で答えが出なかったことを、小平太は 伊作本人の口から直接聞いたことがあるのだという。それは、文次郎が再び長期の忍務を受けるように なり、伊織と二人きりで過ごしているのを訪ねた時のことで、「考えてみたら、より一層混乱してきた」 などと相談されたのだそうだ。 「わたしからすればさ、みんな考え過ぎなんだと思う。…直感を信じて動いてみたら、案外容易く  真理に辿りつけるかもよ」 基本的に勘で生きているようで、意外に考えている小平太の言葉には、長次とは違った意味の含蓄があった。 「うちの咲に訊いてみたんだけど、家の為だとか親の決めた相手でもなきゃ、好きでもなんでない男と  添う気には、まず絶対になんないもんだと思うって。あと、『命懸けで子供を産むなんて、愛されて  いる証拠でしかないじゃないですか』だってさ」 翌朝。助言に礼を述べて辞そうとした文次郎に、小平太はこう付け加えた。 「……。お前んとこの嫁さんほど、いさは解り易い奴じゃねぇと思うが、参考にはさせてもらっとく」 小平太の妻である咲は、「飯が旨い」が最大の理由で見染められた、おおらかでおっとりとした女性で、 伊織より二歳下の長女栗子を筆頭に4児を難なく産み、さらに現在も妊娠中の安産型なので、伊作とは だいぶ条件が違うが、一応「同じ女性の意見」ということで、頭の片隅には留めておこう。と文次郎は 考えた。
う〜ん。何だか、七松さんが妙に鋭くて、赤裸々な感じが…… でもこの辺の内容は、小平太にしか多分出来ないしなぁ 2009.8.12


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