落花 第二話(前編)


それは、二年と少し前。
彼らが四年生になったばかりのことだった。

自室で課題をこなしていた立花仙蔵に、鍛錬に出ていた同室の潮江文次郎が、
戻ってくるなり声をかけた。
「なぁ」
「何だ。下らん用なら後にしろ。私は、これを終えたら伊作と今度の実習の
打ち合わせをする約束があってな。お前の相手をしている暇はない」
文次郎に一瞥もくれずに冷やかに言い切り、課題を進め続けていた仙蔵の手が止まったのは、
珍しく口籠り気味の文次郎の次の一言だった。
「その、伊作のことだ。仙蔵。お前は知っていたのか? アイツが…」
皆まで聞かずとも、相手の言いたいことを悟った仙蔵は、遮るように口を挟んだ。
「ふん。ようやくお前も気付いたか。…私と長次は最初から気付いていたし、
食満にも二年の時に知られたそうだ」
知られた理由までは言わない。
それは、仙蔵が話してしまっていい内容では無い故に。
「…小平太は」
「確信までは得ていないようだがな、勘付いてはいるだろう」
何しろ、彼の勘は時に野生動物並みに鋭い。
「そうか。しかし、何故」
「知らん。家の事情だとしか聞いていないからな」
正確には、「それ以上は訊かれたくなさそうなので訊けないでいる」のだが、
あえて興味が無いかのように仙蔵は装った。
「他に気付いている輩は…」
「教職員の幾人かは知っていて、多少の便宜は図ってくれているらしいが」
仙蔵が知る限りでは、学園長と受付に居た現担任。校医の新野。
そして、くのいち教室の山本シナが伊作の「味方」の筈である。
「一体、どんな事情があれば、おなごの身で男と偽り忍術学園に入ることになるんだ」
「私は知らんと言っているだろう。気になるのなら、伊作本人に直接訊いたらどうだ。
尤も、素直に口を割るとは思わんがな」
思ったままをそのまま口に出しているだろう文次郎の様に、いい加減苛立ちを覚えてはいたが、
普段通りの口調を保つように仙蔵は心がけた。
「…お前は知りたいと思わないのか?」
「あやつ自身が話す気になった時に聞ければ充分だ。わざわざ訊き出そうとまでは思わん」
これ以上この話題を続けていたら、キレて洗いざらいをぶちまけてしまうおそれを感じた仙蔵は、
終わってはいない課題に見切りをつけ、先に伊作との打ち合わせを済ませることにした。

「あの馬鹿と、何かあったのか?」 一通り段取りを決め終わった後。伊作が入れた茶を受け取りながら、ついこんな問いが口を ついて出てくるくらいには、自室でのやりとりが気になっていたらしい自分に、仙蔵は内心驚いた。 「”あの馬鹿”って、文次? 何で?」 「先程部屋でな「知っているか」と訊かれた。…今まで気付かなかったのだから、 何かきっかけがないとおかしいだろう?」 キョトンとした表情で、何の心当たりもなさそうに首を傾げている伊作に、 この話題をふってしまったことを仙蔵が後悔したのは、この直後だった。 「あぁ。それなら、血の臭いで」 「言われてみれば微かにしなくも無いが、犬かあやつは」 意識してはじめて、若干の生臭さと血の臭いが感知できなくは無い程度で、それ以上に 強く染み付いた薬品臭しか伊作からは嗅ぎ取れなかった。 「そりゃ、今は処置も着替えもして、誤魔化す為の手も打ってあるからね。文次には、 着替えに戻る途中で行き会ったんだ。で、怪我をしていると思われたみたいで、誤魔化そうとは したけど、裾に血が付いているのを目敏く見付けられちゃって、『大丈夫だ』って言ってるのに やたらとしつこかったから…」 血の臭いだけならば、「医務室で怪我をした他の生徒の手当していた名残」とでも言い訳が 出来ただろうが、手当では付かないだろう位置の血痕と、さらによく見ると普段よりも 青ざめた顔色では、誤魔化しきれないことも、心配したくなる気持ちも、解らなくはない。 しかし、何故だかそれが仙蔵はいささか気に食わなかった。 「バラしたのか」 「あのまま廊下で騒がれるわけにもいかなかったし、他の人はまだしも、 文次やこへにいつまでも隠し通せるわけないから」 「…話すのか?」 いつの頃からか、周囲に「六人組」として認識されるようになっている程、 常に行動を共にしているのだから、今までバレなかった方が不思議なくらいだ。 という伊作の言い分は、もっともだと理解できても、同時に頭の片隅でそれを 認めたくないと考えている自分がいることに、仙蔵は気付いていなかった。 「うん。でも、学園内だとどこで誰が聞いているかもわからないから、出来れば 今度の休みにでも何か口実を作って皆で出掛けて、そこで話そうと思うんだけど」 決心したように顔を上げて提案する伊作に、異を唱える理由は特に無い。 「そうだな。…で、どこまで話す気だ?」 「事情だけ。他は、言いたくない」 顔をしかめて呟いた伊作に、仙蔵は 「わかった」 の一言しか、返すことが出来なかった。


嫌なリアリティにこだわった結果。ぼやかしているバレた原因は月のもの。
13歳だと、まだ不安定で予測しにくいかな。と思いまして

あと、色々伏せた感じの会話になっているのは、本文中で伊作が言っている通り
どこから洩れるかわからないから念の為。ってことです
2008.6.14



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