落花 第二十二話

鉢屋家を後にし、覚悟を決めて立花の屋敷に向かう道中。文次郎は幾つかのことを、改めて考えていた。 一つ。泉が胎に居たと思しき時期の伊作の様子。 一つ。食満家を辞す際に留三郎が付け加えた言葉の意味。 一つ。そもそも何故、伊織を産むと決めたのか。 伊織や文多の他、流れた児の時も、妊娠中の伊作は大抵具合が悪そうで寝込みがちだったが、泉が胎に居た 筈の時期の伊作は、多少調子は悪そうだがどうにか普段通りに振舞っていたような覚えが、文次郎にはある。 けれど他の友人から聞いた話によれば、学生時代に児を堕ろした際も、その後数日寝込んだり体調を崩して いることはあれど、周囲に勘付かれないよう振舞っていたという。そう考えると、回数を追う毎に心身共に 消耗が激しくなっていったのは事実だとしても、長期間寝込むというのは、気が緩んだ証か一種の甘えでは ないか。と解釈することが出来なくもない。 自惚れかもしれないが、学園を辞して所帯を持って以降、伊作は弱さを見せることが増えた。それは、隠し 事をしなくても良い身の上となったことに加え、己を「弱味を晒しても構わない相手だ」と認識し、ずっと 張り続けていた気を緩めたことで、張っていた分の負担が一気に来たからだと、文次郎は考えた。 次いで、留三郎の言葉の意味と、そこに付随する伊織を産むと決めた理由に思いを馳せる。 当時の伊作にとって、文次郎の持つ全てが嫌悪対象となり得たことは、皆から聞いた。にも関わらず、 結果的に伊作は文次郎を受け入れ、今にまで至っている。 文次郎の想いを指摘してきた時も、妙な賭け染みたやり取りの末に付き合い始めた時も、初めて関係を持った 時も、伊作は「嫌ではない」程度しか答えなかった。そして伊織が胎にいると判明した時も、不快だとは感じ なかったから産むことを決めたというが、それだけでは理由にならない。 妊娠した以上は産むと決めたのは、積極的に堕ろす理由は特になく、堕ろすことで伊作自身の命が脅かされる 可能性があったからだと、今は知っている。けれども相手が文次郎だったことは偶然で、泉も実は条件的には 伊織とさほど違わない。それなのに何故、伊作は仙蔵を選び直さなかったのか。 所帯を持つと決めた時の伊作は、まだ「わからない」と言っており、文次郎も「答えが出るまでで構わない」と 返したのだから、改めて仙蔵を選ぶことも、あの時点では許されたのではないのか。 そんな、いくら一人で考えたところで答えの出ない問いを繰り返しながら、文次郎が仙蔵の実家である屋敷に 辿り着くと、通された仙蔵の私室らしき離れで、いきなり何かを投げつけられた。 「おい、こら! 仙蔵。手前な、室内で宝禄火矢投げんな!」 「案ずるな。火薬の量は調節してあるし、爆発も抑えた作りになっている」 直接会うのは数年ぶりで、しかも状況が状況であるにも拘らず、仙蔵は相変わらずだった。そして更に 「ひとまず殴らせろ」 と、思い切り文次郎の頬を張り倒してからのたまった。 「……何で手前らは、殴ってから言うんだよ」 「私の他にも殴られたのか。いい気味だ。殴ったのは……長次ではないだろうから、留三郎だな。まぁ、  あやつなら、殴ってから断りをいれてもおかしくはないな」 まるでかつてのような軽いやり取りなのは、お互い本題に入るのが気まずいからなのかもしれないが、 いつまでもそんな調子では話にならない。と、文次郎が話を切り出そうとすると、先に仙蔵の方が ガラリと調子を変えて口を開いた。 「大筋で同期の皆から情報を訊き出し、残るは私だけ。訊きたいのは、泉の出自にまつわることと、いさが  何処の誰に匿われているか。……そうだな?」 「……ああ」 実を言えば、場所は知らないが匿っている相手の見当だけは、文次郎にはついていた。しかし仙蔵の語るに 任せた方が早いと思い、そこは黙っていた。 「はっきり言って、いさの真意など私には解らん。どう考えてもお前などより私や、他の長次や留三郎辺りの  方がマシに決まっているのにお前なんかを選んだ理由も、お前に操立てするかのようで、泉を産むに至った  流れも、私には到底理解出来るものではない」 仙蔵のあまりの言い草に、「ここまで来てそれはないだろう」と文次郎は文句を言いかけたが、仙蔵はそれを 遮るように「しかし」と付けて先を続けた。 「私なりの解釈ではあるが、たった一度きりの関係は、気の迷いなどではなく明確な意思を持ってのことで、  アレがいさなりのけじめであり、慈悲。そして泉は手切れと決別の証だ。……いさはあの子を産むことで、  私との間に一線を引き、お前だけを選んだ。私は、そう捉えている」 ここに至るまでの間に文次郎が話を聞いた他の友人達も、同じようなことを言っていた。ということは、 合っているようにも思えるが、何しろ伊作の考えることなので、余人には理解の及ばないもっと突飛な 発想があった可能性もある。そんなことを文次郎が考えているのを読み取ったのか、仙蔵は薄く笑った。 「この件に関しては、案外深く考えすぎぬ方が良いのかもしれんぞ。……泉が出来たことは、誤算とあやつの  不運故ということにして、それ以外の、私に解る事実を中心に教えてやる」 それを聞くためにここまで来た筈だが、聞きたくないような気もする。そんな文次郎の葛藤はお構いなしに、 仙蔵は話を続けていった。 「……いさはあの時、『お前と他が違うのか確かめたい』と言った。同時に『己は恐怖と苦痛以外のものを  得られるのか知りたい』ともな。つまりだな、非常に癪に障るが、私だろうと留三郎だろうと、いっその  こと鉢屋辺りだろうと、事情を知っていてある程度気心の知れた相手なら、恐らく誰でもよかったんだ」 伊作の言葉は事実だとしても、流石にそれは穿った考えではないかと文次郎は感じたが、異論を口に出来る ような状況に思えなかったので、黙って先を聞くことにした。 「何故お前なんかなのかは一生理解出来ん気がするが、例えお前より先に私がいさに想いを告げていたと  しても、あやつは私の手を取らなかったかもしれない。むしろ絶対的な信頼を得ていたからこそ、逆に  地の底よりも下の地位まで墜ち、友人にすら戻れなかったかもしれん。そう感じたのは、いさが我ら  五人を如何捉えているのか聞いた時だな」 伊作が仙蔵に持っていた感情は、最早信仰に近しいまでの憧れだったのだという。 「当時のいさにとって、私は憧れであり、性別を超過した金蘭の友。長次や留三郎は父ないし兄という肉親。  小平太は弟かつ光そのもの。故に、清濁併せ持ち、対等の立場で情を交わすことに嫌悪感を抱かぬ相手は、  お前しか居らぬのだ。……といっても、単なる消去法であって、お前なぞを選ぶ根拠としては弱いのだがな」 伊作から、仙蔵が絶対の信頼を寄せられていたことも、長次や留三郎が肉親のように思われていたことも、 ついでに小平太が―ある意味下級生への扱いにも似た―別格扱いだったことも、文次郎は解っていた。そう 考えると、自分以外の四人が伊作に劣情を向けた場合、それが酷い裏切りとなることも、これまでに聞いて きた話と合わせると、とてもよく納得出来る。だからこそ、より一層に 「んじゃ、何で俺はアリだったんだ?」 という疑問が深まるばかりだった。 「知るか。…………あの時お前なぞと付き合いだしさえせねば、卒業後の身の振り方として、私と仮初めの、  形ばかりの夫婦(めおと)となる道を示し、時間をかけて歩んで行けば、いずれ真の夫婦となることが出来、  いさも苦しむことはなかっただろうに」 文次郎の独り言なのか問いなのか判らない呟きを、投げ遣りに切り捨て仙蔵がぼやいた内容は、自分勝手な ようで意外と理に適っていた。仙蔵ならば、いきなり氏素性の知れぬ娘を妻として連れ帰り、周囲に有無を 言わさず認めさせることも、あらかじめ子は望めないことを言い含めることも容易いだろうし、身分も申し 分ない。更に、「あくまでも目眩ましの演技だ」という大義名分を立てて手に入れ、生涯傍に居ることさえ 叶えばそれだけで充分で、伊作に恐怖や苦痛を与える位ならば男女の関係になどなれずとも構わないとまで 思えるのではないかと、文次郎には感じられた。 もしもアノ十三歳の夏に、己の恋情に気付かぬか、気付いたとしても指摘しないか拒絶し、仙蔵の理想通りの 成り行きとなっていたならば、おそらく伊作は、現状などより遥かに幸せになれただろう。そこまで文次郎の 考えは及んだが、気付き、受け容れ、真意までは解らないが、最終的に文次郎を選んだ。それが現実の伊作が 採った行動であるのは、一応紛れもない事実である。 「……。話を戻し、少々具体的な話をするが、覚悟は良いか?」 考え込みだした文次郎に、こう声を掛けると仙蔵は、文次郎の答えを待たずに語り出した。 「私と関係を持つことで、いさがひとまず出した結論は、『快楽は己で封じた』ということと、『反射的に  殺めぬように、縋ることが出来ない』というものだった。つまりは嬲られている最中の苦痛を快楽にすり  替えたりせぬよう自己暗示で抑制しており、背や首に回す腕には常に毒針があったということだ。しかも  それらが無意識の習性とまでなっていたがために、理性でも感覚でも『違う』と解ってはいても、自制  しきれずに混乱を起こしていた可能性が高いとのことだ」 後になって考えると、気狂いの病を持っていた母の気質を受け継ぎ、伊作も自分で律せなくなる程の、強い 思い込みを自分に植え付けてしまう、一種の自家中毒に似た気が見られると言えるという。 「あやつは、生まれた時から身代わりで、何一つ望むことを許されず育った。そして、下衆に目を付けられ、  すべてを諦め、悪夢が過ぎ去るまで無心で堪えるようになった。それ故『自分がどうしたいのか』『何を  望んでいるのか』が、自分で解らないのだろう」 要するに自我や情緒がひどく未熟な状態で、難題にばかり出会い訳が解らなくなっている。というのが、 正直な所、最も正確な解釈なのではないかと、仙蔵は考えているらしい。 「いさの場合、おそらくは考えれば考えた分だけ、混乱しかしないだろう。故にあやつの本音は、無意識下の  言動から推し量れば良い訳だが――」 そこまで言って仙蔵は、苦々しげに一旦文次郎から目を反らした。 「あの時、いさが、意識を手放す瞬間に呼んだ名は、文次郎。お前のものだった」 それが決定打となり、仙蔵は伊作を諦めることにしたのだという。 「さらに言えば、泉は年々私そっくりというか、私にしか似ていないとも言える位に育って行き、母親の  面影など、何処にも見当たらない。つまり、私達が口をつぐめば、真実が露見することはないだろう。  そこに、私はいさの執念を感じるのだ」 妊娠に気付かれないようひた隠しに隠し、産んだ子にも己が母である証拠を一切残さなかった。それは、 意図して出来る所業ではないが、それでも成し遂げたのは最早執念としか言いようがないという。 「泉は間違いなく私の息子で、産んだのはいさだが、『私達の子』ではない。その意味は解るな?」 謎掛けのような言葉の答えを、仙蔵は文次郎に訊かなかった。それはつまり、伊作と対峙する前の、 最後の課題だということなのだろうと、文次郎は解釈した。 「さて。では、私が語ってやるのはここまでだ。あとは本人から、直接みっちりと聞かされるがいい。  まぁ、その前に、アノ自称弟が、あっさり取り次ぐとは限らんがな」 そう言って、半ば追い出されるように送り出された文次郎の去り際、仙蔵は冗談めかして 「もしもお前が死んだならば、母子共々引き受けてやる心積りはある。……その場合、お前そっくりのアノ  息子も、一応は育ててやるから安心しろ」 などと不敵に笑ってから、 「しかし、お前を失ったらいさは悲しむだろうから、おめおめと死ぬなよ」 とも付け加えた。 「……。お前が何考えてんのかも、俺にゃよく解んねぇよ」 「私は、己が悦びよりも愛する者の幸せを優先する。それだけのことだ」 終始読めなかった仙蔵の真意が、ほんの少しだけ垣間見えたような、そんな激励なのかよく解らないものを 胸に、文次郎は最終目的地へと旅立った。 向かうは、忍術学園の元後輩にして、伊作が義弟扱いをしているきり丸の許。彼は忍術学園を卒業後、担任 だった土井半助の養子となり、その数年後に独立し、どこぞの山村に居を構えたらしい。文次郎が知るのは それだけだったが、伊作はその場所を知っていた。それ故、身を隠すのに最も適した場所だと考えて協力を 仰いだのだろうと文次郎は考えたが、もう少し深い訳がある。それを知るのも、また辿り着いた後のこと。
お待たせいたしました。ようやく仙蔵様編でございます。 しかしコレで納得していただけるかは、甚だ不安な仕上がりのような…… (仮にも「間男」ポジションな筈なのに、仙様の開き直りっぷり凄いし) でもまぁ、書きたかった内容は概ね書いた筈ですし、彼ららしくなった気がしますので、コレで良いにしときます 2009.11.24


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