落花 第二十三話
文次郎が知り合った十の歳のきり丸は、栄養の足りていないやせっぽちの、生意気な子供だった。その後、
会う度に肉付きはあまり良くないまま縦に育って行き、九年経った今では上背にさえ目をつぶれば、細身で
絶世の美女に化けられるような美丈夫となった彼は、あらゆる意味で仙蔵を彷彿とさせ、しかも自分より
背が高いので見下してくる辺りも、文次郎的には気に食わない。しかしながらきり丸側も、色々と思う所が
あるらしく、敢えて喧嘩を売るような態度をとっている節がある。
それでも一応、伊作を挟んで「仲の良くない義兄弟」という形をとっており、お互いに多少の気に食わなさは
気にしないのが、暗黙の了解となっていた。
けれども、仙蔵から聞いた情報を元に居所に辿り着くなり、心底厭そうに
「ようやく来くさりましたか」
と言われると、流石にカチンと来るものがある。
「何だ。その、いつも以上に悪意に満ちた言い草は」
「来るのが遅いんですよ、アンタ。その気になりゃ、もうちょっとさっさと来れたでしょうに」
などときり丸は眉をしかめたまま言うが、示された期限が三月の所を、一月強で辿り着いたのだから、そう
遅い方では無いだろうと、文次郎は反論しようとした。
「それでも、姉ちゃんが日が経つにつれ不安定になっていく性質なのは、誰より良く知ってんでしょうから、
無茶してでももっと早く来るぐらいの気概を見せてみろってんです」
そんな言い分を見抜いたように、きり丸は一層棘を増した声で文次郎を切り捨てた。
「アンタに見捨てられるのを恐れながら、姉ちゃんはずっとアンタを待っていました。……正直、あんな
不安そうなくせに強がってる姉ちゃん見るの、泉を産んだ直後以来っすよ」
「お前、どこまで知っているんだ?」
泉の素姓くらいは、協力を仰ぐにあたって話した可能性は考えていたが、まるで生まれた当時から知っている
かのようなきり丸の言葉に、文次郎は怪訝そうな目を向けた。するときり丸は、咳払いを一つしてから
「……立花様のお屋敷に、誰が赤さん連れてったと思ってますの?」
と、少女のような声と口調で文次郎に問いかけた。
「十六夜あねさまは、赤さんを産んですぐに亡くなりました。だからあたしは、ホントはあたしが代わりに
育ててあげたかったけど、あねさまの頼みだから、立花様のとこまで、赤さんを連れてったんです」
続けて語るきり丸に、目の前に居るのは自分より背の高い少年だと解っているのに、文次郎には勝気な少女の
幻が見えた。そして、そこでようやく、「泉を産んだ母親は出産で命を落とした」と、仙蔵が対外的には説明
しているのだから、子供を仙蔵のもとに送り届けた共犯者がいないとおかしいことにも気がついた。
「姉ちゃんは、一生強請られるの覚悟で、俺に泉を託しました。だから俺は、強請る代わりに姉ちゃんと
立花先輩から、全部聞かせて貰いました。その上で姉ちゃん達の味方に付いたんで、この件に関しては、
アンタは限りなく俺の敵です。……納得しましたか?」
「ああ、まあ、概ねは」
文次郎に口を挟む隙も与えず、しかも妙に自信たっぷりに語ったきり丸の様は、やはり何処となく仙蔵に
似ていたが、一応の納得は出来なくもないものだった。
「そうですか。それじゃまぁ、姉ちゃんに会わせてやってもいいですけど、今は村外れの廃寺で診療所みたいな
もんを開いているんで、邪魔はしないで隅の方にでも居てください」
そう言いながらきり丸は、何故か隣の家に向かった。しかもその家には幼い子供しか居らず、きり丸が一声
かけると、子供達はわらわらと寄ってきて口々に
「せんせー。この人だぁれ?」
「お客様?」
「誰か貰われてくの?」
などときり丸に問いかけた。
「伊織達の父ちゃん。……六太、葉月。このおっちゃんを、いさ姉がいるお堂まで案内してやってくれるか?」
「はぁーい」
「こっちだよ、おじさん」
きり丸に名を呼ばれ頼まれたのは、伊織と同じくらいの年頃の子供達だった。
「誰がおっさんだ」
「こいつら、伊織より年下なんで、『おじさん』で間違ってないと思いますけど?」
老け顔とはいえ、二十四歳で「おじさん」呼ばわりは失礼だと文次郎が文句を言うと、きり丸は白い目を
向けてきた。そしてきり丸自身が案内しない理由については、訊かれる前に
「俺には色々とやることあるんで、案内程度ならガキ共で充分でしょう」
と付け加えたが、多分伊作との再会を見たくないのが本音だろうと、文次郎は勝手に推測した。
×××
「本物、だね」
幼い子供達に連れられ着いた廃寺で顔を合わせた伊作は、開口一番そう呟いた。
「どういう意味だよ」
「一度、鉢屋が君の顔で訪ねて来たんだ」
時期的には、文次郎が彼らの家を辞し、立花邸に向かっている頃のことだという。
「……あの野郎」
「まぁ、間違えることは有り得ないんだけど、ホント相変わらず悪趣味なんだから」
十年以上前から高確率で見抜けていたが、今回は一瞥しただけで解ったのだという。
「……骨格も、気配も、声も、臭いも、すべて違う。それに今の私は、君に残る全ての傷を覚えている。
だから絶対に間違えない。そう言ったら『負けました』って言われたよ」
そう言って穏やかに笑う伊作の笑顔が、こんなにも儚げなものだったかと、文次郎は若干の違和感を感じた。
「……探して、くれたんだね」
案内や境内で遊んでいた子供達と、一緒に遊んでいた伊織達は、伊作の手伝いをしていたらしき伊織より少し
年嵩の少女―安寿―が連れていき、数人居た患者もすべて診終えて二人だけになると、伊作は戸を閉めながら
文次郎の方を見ないで呟いた。
「来ないとでも思ったのかよ」
「ううん。信じてた。けど、諦めてもいた」
「何だよ、そりゃ」
「僕の望みは叶わない。僕は、幸せになんかなれない。ずっと、そう思ってたから」
尚も戸の傍で、文次郎に背を向けたままの伊作の声は、僅かに震えていた。そんな伊作に何と声を掛け、どう
話を切り出したものかと文次郎が考えていると、伊作は意を決したように振り向きはしたが、文次郎の傍まで
来ることはなく、「怒ってる?」とだけ問い掛けた。
「ああ」
「許せない?」
「……」
「僕のこと、憎い?」
薄暗い場所で距離が離れている所為で、お互いの表情は見えないが、伊作が不安そうな顔をしているだろう
ことは、文次郎には手に取るように解っていた。
「……お前は、根本的な所を勘違いしている。俺が怒ってんのは、お前に対してというより、むしろ俺自身に
対してだ」
「どういう、こと?」
最早絞り出すような擦れた声になりながらも、その場から動かない―動けない―伊作に、文次郎の方から
歩み寄り、腕を取って抱き込んだ。
「お前は確かに採るべき道を間違えたかもしれないが、それは別にお前の所為ではない。あの当時、助けを
求めなかったこと自体は、お前自身の意思なのかもしれないが、それでも気付いてやれず結果的にお前を
苦しめてきたのは俺だし、根本的なことを言えば、お前の親や、その、下衆な当時の上級生が原因なわけ
だろ。だから、俺にはお前を責める権利なんか無ぇんだよ」
それが、友人達から聞いた話を踏まえ、文次郎の出した結論であり本音だった。
「まぁ、一つ責めるとするなら、俺も…小平太ですら、具体的なことは何も解らねぇが『何かある』のには
気付いていて、その上で力になってやりたかったのに、お前は何も言わねぇし、頼るにしても仙蔵達ばかり
だった。そのことが、どれだけ口惜しかったか解るか?」
言い聞かせるように語り掛けてから、ほんの少し茶化すように文次郎が付け加えると、腕の中で伊作は小さく
首を振った。
「食満にも指摘されたが、多分俺は、お前が女だと知る前から、お前を守りたかったんだ。で、お前が女だと
知って、好都合だと考えた。それをお前自身に見抜かれたわけだな」
長次や留三郎のように、肉親のような守り方をしたかったのでは無く、隣に立ちたかった。その思いは、
おそらく仙蔵に最も近かったのだろうが、真実を知っているが故に拒絶されることを恐れて隠した仙蔵と
違い、知らぬからこそ勘付かれるような態度を取り、指摘されて開き直ることが出来たのだろう。そう
文次郎は結論付けたという。
「ついでに、仙蔵もお前の我慢癖と溜め込み癖は、苦々しく思っていた筈だ。アイツが、後手に回るのを良しと
するわけないだろ?」
「う。ああ、確かに。それは、物凄く納得できる」
学生当時からもっと周りを頼り、助けを求めても良かった。そう責められると、伊作は何の反論も出来ない
ようで、困ったように弱弱しく苦笑した。
「申し開きでも文句でも要求でも、言いたいことは残さず言え。全部聞いてやるし、望みも叶えてやるから」
一旦身体を放し、目を合わせて文次郎が語り掛けると、伊作は文次郎を見上げて微笑み、おずおずと腕を
伸ばした。
「なら、ひとまずもう一度抱きしめて。それから、話を聞いて」
どこまで入れる予定だったのか忘れたので、とりあえず今回はここで切って、
次回は伊作さんの語り兼最終話です。
連載を始めた当初とは色々変わったため、何をどう書くつもりだったのか、自分でもイマイチ
よく解らなくなってきている。というのが本音ですが、一応収拾は付く……筈です。
それでは言い訳はこの辺で
2009.11.29
2009.12.3 ほんの少し修正
戻 一覧 進