落花 第八話
「…はい。終わりっ!」
慣れた手つきで手当てを終えた女は、言葉と共に巻いたばかり包帯をペシリと叩いた。
「ってぇ。傷の上から叩くな!」
「…この消毒薬が、やけに沁みるのは、私の気の所為か?」
案の定手当てを受けていた側からは文句を言われ、更に先に手当てを済ませた
もう一人からも、控え目な苦情らしきボヤキが聞こえた。
「信憑性を持たすためとはいえ、君達はいつもやり過ぎなんだよ。
だから、ちょっとくらい反省してもらおうかと思って」
余った薬などをしまいながら、女が悪びれもせずに返すと、今度はそれを
見ていた更に別の一人が「要はわざとか」と呟いた。
「そういうこと。…留も長次も、こへ任せにしないで、もう少し早く止めて
くれても良かったのに。仙蔵の腫れた頬なんて、診るのいつ以来だろう」
溜め息まじりに女がぼやくと、壁際に居た一人はそ知らぬ風を装いつつ目を逸らし、
最後の一人は、まるで「褒めて褒めて」と、尻尾を振りながら待っている犬のように
目を輝かせている。…と、女の目に映ったのは、おそらく錯覚では無いだろう。
場所は町中の、とある長屋の一棟。集まっていたのは、家主である若い女と数人の男。
男達は、傷を叩かれた文次郎と、消毒液が沁みた仙蔵。呟いた長次に、目を逸らした留三郎と
犬の如き小平太の五人。そして残る一人は、薄紅色の小袖をまとい、下ろした髪を下の方で
緩くまとめ、化粧気はないが、常と違いキチンと女に見える姿をした―死んだ筈の―伊作だった。
彼―彼女―の生存も、事故も、その後の友人達の諍いまでも、総て仕組まれていた。
そのことを知っているのは、それを実行に移した、当の六人のみ。おそらく薄々勘付いた者は
いるだろうが、確証が無い以上は詮索のしようも無いし、伊作の抱えていた「事情」を知る者
ならば、見逃してくれる筈。それを見越した上で伊作本人が立てた計画は、以下の通りだった。
*
「ねぇ、留。その後の居場所や状況がわかるんだったら、『死んだことにする』のに、
手を貸してくれる。みたいなこと、この間言ったよね?」
そんなことを伊作が言い出したのは、実習の準備をしている最中のことだった。
「ああ。まあ、確かに言ったが…まさか、今回実行する気か?」
「うん。…その後どうするかを決めてる余裕は無いけど、偽装自体の計画は思いついたから」
訝しげな顔で問い返した留三郎に、伊作はどこか覚悟を決めたような顔で頷いた。
「ってことは、身の振り方は追々考える。でいいんだな? で、具体的にはどうする気だ?」
一度決心した以上、その考えを改めることはまず有り得ない伊作の性格を知っている留三郎は、
反論することなく先を促し、無理そうな計画ならそれとなく軌道修正することにしたようだった。
「この地点までわざと追っ手をおびき寄せて、追い詰められたフリをして、崖から落ちる。
だから留は、おびき寄せるのの手伝いと、『僕の生存が絶望的だ』っていう証言をして?」
伊作が地図上で指し示した崖は、下見に行った際に見た限りでは、角度は垂直より若干内寄りで、
縄梯子を掛けて降りるにも危険な高さがあり、下を岩だらけで流れの速い川が流れている筈だった。
そこを指摘して止めようとしたが、伊作はキッパリと
「アノ崖、上から見下ろしても判らない角度に広めの岩棚があるから、そこに降りれれば大丈夫」
と言い切り、計画を変える気は一切なさそうな様子だった。
「…何でそんなこと知ってるんだ? 上から見ても判んないんだろ?」
「川の、向こう岸からだと、見えるんだ。で、あの辺り、一応地元だから……」
もっともな留三郎の問いに、同じくらいもっともな答えを、伊作は言いにくそうに返した。
「…家庭訪問とか来たことないし、本家の場所しか言ってないから、先生達は、多分知らない」
だから計画を実行しても、バレる可能性は低い筈だ。と伊作は付け加えた。
そこまで考えてあるならば、留三郎に反論の余地は無い。ということで、どの程度の危険が伴うかも
わからないが、仕方無しにその案を採用することにし、他の四人にも伝えるべく召集をかけた。
計画を聞かされた残りの顔ぶれも、口々に反対はした。けれど、伊作の態度は頑なだった。
「全部終わってから、ちゃんと話すけど、時間がないんだ。だから、きっとこれが最後の
機会になると思う。…ごめん。今はこれ以上は言えないけど、協力してくれないかな?」
「…ホントに、全部話してくれる? 失敗して死んだら許さないよ?」
思い詰めた表情で懇願する伊作に、最初に声を掛けたのは、小平太だった。
彼らしくないようで、ある意味彼らしい言い草に、伊作は少し苦笑しながら「約束する」と誓った。
「ならば、他に我らがすべきことはあるか?」
目撃証言は、共に実習に赴く留三郎にしか出来ないが、全員に協力を頼むのならば、
自分達には何を望むのかと訊ねたのは、仙蔵だった。
「悲しむんでも、平気なフリをするんでも、憤るんでも、とにかくどんな形でもいいから、僕は
死んだものとして振舞って。…あと、『形見分け』ってことで、私物を回収してくれると助かる」
最後の一言だけ冗談めかして答えたことで、ようやく張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
そして計画は実行に移され、約束通りに生還した証拠として、偽名での文が届くまでの数日間、
残りの面々は落ち着かぬ日々を過ごし、文が届いたその日に、大喧嘩の芝居が打たれたのだった。
そこから卒業に到るまで、表面上の仲違いを演じていたのは、周囲に「伊作の死」を疑わせない
ためでもあったが、そこにほんの僅かだが本当の対立が含まれていたことは、当人達しか知らない。
ということで、舞台裏でございます。
みんなしてバラバラの理由を作って町に出て、「家」に集結してます。
冒頭はたぶん、喧嘩騒動の当日か次の日位。休み前を狙って芝居を打ったということで。
伊作の急な(ようで遅い)決心の理由と、この後の身の振り方などはまた次回。
2008.9.19
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