落花 第十九話後編

「くのいちと似てるってのはどういうことだ」 「『女』を武器に出来る側に近い、って意味だ」 「そうは思えなかったが、アレで遊び女上がりか何かなのか?」 女であることを武器にするということは、要するに色香でもって相手を弄し、良い様に操ったり情報を得る ことが出来る。ということで、その能力を最大活用することがあるのは、くのいち以外ならば商売女位しか 文次郎には思い付けなかったが、香のさばけた気質はどこかそういった女達とは違うように見えていた。 「いいや。遊び女だったのは、母親だよ。あたしは、この旅屋に居た遊び女の産んだ娘なんだ」 恥じるでも開き直るでもなく、香は当然のことのように笑って、己が身の上を話しだした。 それによれば、かつてこの旅屋に居た遊女に児が出来た時、当時の主人はその子を「自分の子だ」として、 その遊女を娶ろうとしたが、当の遊女にその話を断られたらしい。そして、結局生まれた子―香―は主人の 子として育てられ、母はそのまま旅屋で遊女として客を取り続けていたという。 「詳しい話は聞いたことないんだけど、母さんは父さんのことを憎からず思ってはいたらしいけど、自分の  立場ってのをわきまえていたから、嫁の話を断ったんだと。…で、十二か十三の時に母さんが寝付いてね。  それまで他の下働きと一緒に働いてたあたしを、父さんが呼んだんだ。それで、てっきり母さんの跡を  継いであたしが客を取るよう言われるかと思ったら、『そうするか、今後は遊び女を置かないことにして、  それでもお客様が来て下さる店になるよう尽力するか選べ』と言われたんだ」 母の、母なりの矜持を解っていた香は、いずれ母の代わりとなる覚悟はあったのだという。それでも、本当は 母を遊女ではなく、己が妻として傍に置きたかった父の想いも感じ取っていたため、「二年頑張って無理なら やはり以前の通りに遊女を置き、自分がその遊女となる」との条件で、父の元で時期主人として振舞うことに 決めたのだという。 「あたしは、多分父さん―先代―の種じゃないし、母さんが寝付くまでは確かに少し厚遇はされていたけど、  ただの下働きだって自分では思ってた。けど、父さんはあたしを娘として見ていてくれて、他の下働きの  皆にもそう言い含めていた。だからあたしは今こうして、この店の主人でいられるんだ」 結果として、立地が良かったのか宿業務だけでも充分な客数が得られているため、今後は―代替わりして 方針が変わらない限り―商売女を置かないことでやっていくことにしたらしい。 「それでも、以前のことを知っていて、あたしや他の子達に相手をさせようとするお客もいてさ。それで  そういう輩に抵抗してる間に、こんな性格になっちまったってわけなんだわ」 香はカラカラと笑いながら話しているが、旅屋の評判や利益のことを考えると、極力角が立たないように 片を付けるのは、そう簡単なことでは無いように文次郎には思えた。しかし、多分こういう所が香の持ち味 であり強みなのだろうとも、同時に考えた。 「俺は先代の頃から何度か仮住まいに使わせてもらっていた伝手で、先代が亡くなる少し前に、こいつが主人に  なってからしばらく用心棒をしてくれと依頼を請けたんだ。で、まぁ、その内に『婿候補じゃないのか』とか  いう噂が立ち始めて……」 「あたしがそれを否定しないで、逆に『留さんさえよけりゃ、噂通りに貰ってくれるかい?』とね。特定の  相手が居ると他の男避けになるし、留さんは店のことに関して余計な口出さずあたしのこと立ててくれて、  顔も腕っぷしもそこら辺の男より格段に上だからねぇ」 身も蓋もない言い草だが、留三郎は特に異論の無さそうな顔をしているし、文次郎も何故か妙に納得がいった。 そのことに、逆に文次郎は何処となく引っ掛かりを覚えた。それを感じ取ったのか、香は仙蔵張りの訳知り顔で 笑って、こう言い切った。 「正直ねぇ、世の夫婦なんて案外そんなもんよ。大恋愛の末とかってのもあるだろうけど、結局『共に居て  居心地が良いか否か』が決め手なの。お互いに気を使うようじゃ、何十年も添い遂げるのなんか無理だね」 考えてみれば、小平太の所も「飯が旨い」が最大の要因だったというし、三十過ぎてようやく嫁を貰った 忍術学園の土井半助の相手も、いつの間にか「居ることが当たり前」の存在になっていたからだと聞いた 覚えがあった。 「……な? 参考になっただろ」 「ああ。何と言うか、目から鱗が落ちたような、少し肩が楽になったような気がすんな」 香の語った内容には、あやふやな感情のまま夫婦となり、未だに答えが出せていないと思っている伊作への、 ある種の回答が込められているように、文次郎は感じた。 「まぁ、香の身の上も性格も特殊な部類に入るから、いさにそのまま応用は出来ないが、ああいった考え方も  あるってのは覚えておけ。それでだ。今の香の話を踏まえて本題に戻すと、いさが立花を選ばなかったのは、  おそらく香のお袋さんが親父さんの妻にならなかったのと同じようなものだと、俺は思う」 いきなりの話題転換に、文次郎が軽く面食らって混乱しかけそうになっても、留三郎はお構いなしに持論を 展開し始めた。 「いさの境遇は、家が落ちぶれて遊び女に身を落とした、もしくは攫われて嬲られた姫さんみたいなものだと、  置き換えられないこともないだろう? そんな身の上じゃ、どれだけ相手に『それでも構わない』と言われた  所で、引け目を感じちまって武家の嫁御には修まれない。ってのがまず一つ。それから、今まで拒むことが  許されない状況しか知らないんで、拒んでいいのか解らず、線引きの位置を確かめてみたかった。ってのも  あるような気がする」 「どういう意味だ」 解るような解らないような留三郎の例えに、文次郎が思いきり首を捻ると、留三郎は突き放すような答えしか 返してこなかった。 「それは自分で考えろ。俺の口からその解説をするのは、物凄く癪だから絶対にしてやらねぇ。ただ、非常に  不本意だが最後に一つだけ教えてやると、あの当時アイツにとって、自分に劣情を向けて来る者は、全てが  嫌悪の対象でしかなかった。……にも拘らず、悩んだ末にお前を受け容れた。それが如何なる意味を持つか。  そこの辺りを、よく考えてみるんだな」 それこそが、潜在的に惹かれていながら仙蔵が伊作に想いを伝えなかった、一番の要因であり、その答えが 伊作自身も自覚していない、無意識下の真意だと、留三郎は捉えたのだという。 「いいか。どんな経緯があったにしろ、最終的にいさが選んだのはお前だ、潮江。いさが選んだから、  俺らはもの凄く気に食わないが、お前を認めてやったんだ。それも肝に銘じとけ」 捨て台詞なのか助言なのかよく解らない留三郎の言葉を胸に、文次郎は仙蔵当人から真相を聞く前に、 もう少しだけ事情を知る者達に見解を訊きに行くことを決めた。どの程度、如何なる情報を持っている かは未知数で、直接は関係のない証言しか聞けないかも知れない。 たとえ遠回りになろうとも、「何か」は得られるだろう。そう考えての選択だった。
何故か食満夫婦の馴初め的な物が多めなような気もしますが、書きたかったことはそれなりに書けた筈なので、 コレで良いってことにします。 どうやらお香さんは、叶の中では家族モノや七松組における照代さんと似たポジションぽいです。 「ぐだぐだ悩む男共をバッサリ切り捨て喝を入れるお姐さん」的な意味で 2009.9.13


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