落花 第二十話
忍術学園の関係者の内、入学当初から伊作の素姓を知っていた者には、学園長、担任教師(実技)、くのいち
教室の山本シナ、校医の新野の四人が居る。その中で、死亡事故後に真相を告げ、女性として顔を合わせた
のは新野だけだが、その後様々な事情や状況から素姓を明かした者も居るので、九年経った現在、学園内で
彼女の素姓や状況を知る者は、あと二人居る。
一人は、弟扱いをしているきり丸の義父に当たる土井半助で、妻子とも家族ぐるみで付き合いがある。
そしてもう一人は、新野の後継者として学園に残り校医になった、四年後輩の川西左近。彼とは、新野に
頼まれ、臨時雇いで医務室の助っ人をした際に再会した。
そんな訳で、家出先などの手掛かりを得られるかは五分五分だが、何某かの話を聞けることを期待して
忍術学園を訪れた文次郎は、医務室を訪ねるなり、左近に思いきり怪訝そうな顔をされた。
「何の御用ですか?」
現役の学生時代から、文次郎はお世辞にも左近を含む後輩達に慕われていたとは言い難いが、あからさまに
棘のある態度をとられる程ではなかった。けれども三年前に伊作を迎えに来て顔を合わせた時から、左近は
明らかに自分を敵視しているように、文次郎は感じている。その原因はおそらく、自分と伊作の関係なの
だろうと解ってはいたが、あえて気付かぬ振りをして
「お前は、俺の何がそんなに気に食わねえんだよ」
と眉をしかめて見せると、案の定
「強いて言うなら、いさ先輩のご主人なことでしょうか」
との答えが返ってきたが、文次郎が一応の反論を口にする前に、左近はすぐさま言い変えた。
「ああ、いや。ちょっと違うか。『いさ先輩に手を出したことが許し難い』ですね」
曰く、色恋沙汰は個人の勝手なので、信じ難いが付き合っていたことや、現在は夫婦であるということは
事実として認めざるを得ないが、必死で素姓を隠していたと思われる時期に、露見しかねないような形の
関係を持っていたということが万死に値するのだという。
「……娘さんがいつ生まれた子なのか、きり丸から聞きました。そういう意味で、僕は貴方を許しません。
あれだけ五月蠅く忍者してたんですから、卒業まで三禁を守りきる位のことが出来なかったんですか?
あの時点ではバレない程度の時期だったから良かったものの、もしももっと早くに出来ていたとしたら、
どのように始末をつけていたおつもりで? 如何なる道を選ぶにしろ、身体的にも精神的にも、負担が
遥かに大きいのは、どう考えても女性側なんですよ。そこの所を、解っていらっしゃいますか!?」
先輩を慕う後輩としての感情に加え、医療従事者としての意見としても、文次郎が伊作と在学中に関係を
持ったことが許せないという。そのことに関しては、他の友人達からも再三責められはしたが、正直な所
文次郎は、そこまで深刻に考えたことは、今回の件で伊作の堕胎経験や体質の話を聞くまではなかった。
「……すまん」
「僕に謝られても、何にもなりません。というか、例えいさ先輩に謝ったとしても、既に起きたことですから
手遅れです。……で、本日は何の御用件で、此処にいらしたんですか?」
つい謝罪した文次郎に、左近はより一層棘を含んだ態度で返したが、この様子だと伊作が失踪したことは
知らないだろうと感じた文次郎は、「別の用事のついでに顔を出しただけだ」と誤魔化し医務室を辞した。
続いて向かった土井の所でも、「何の用だ?」とは訊かれたが、すぐに何か思い出したように、一通の
文を手渡された。
「これは?」
「もしもお前が来ることがあったら渡してくれと、きり丸から頼まれたんだ」
聞けば、伊作が失踪した三日後に当たる頃に、きり丸が訪れて託していったらしい。ということは、少なく
ともきり丸は伊作が失踪したことを知っており、この文には何某かの手掛かりが書かれている可能性が高い
のだろう。そう考えた文次郎が、土井に文の内容について尋ねると、土井は穏やか微笑った。
「忍務については、何も問わないのが礼儀だろう?」
文を託す際きり丸は、
「万一潮江先輩が訪ねて来たとしたら渡して下さい」
とだけしか言わなかったが、土井は何も―それが忍務なのか否かさえ―訊かずにその頼みを引き受け、中も
全く見ていないという。
「……私はきり丸を信用しているし、きり丸も私のことを信用してくれていると信じている。忍びの世界に
おいて、隠し事や裏切りは当然のことで、きり丸や、他のかつての教え子たちが、そういった世界に身を
置いていることは重々解っている。それでも、何があっても、最後まで私はあの子達を信じ抜く。それが
私の、今や彼らにしてやれる、唯一のことだからな」
土井が、何処まで何を知っていて、どんなつもりでこの言葉を口にしたのか、文次郎には解らない。しかし
彼の言う「かつての教え子たち」には、おそらく文次郎自身も含まれている。そのため「文の内容が如何なる
もので、結果的に何が起ころうと、それを受け止める心積もりはあるので文を受け渡した」ともとれるし、
婉曲的に「伊作を信じてやれ」と言っているようにもとれる。
そんな土井の真意の読めなさは、何処となく伊作と似ており、必要以上のことは訊いた所で笑顔でやんわりと
はぐらかされるだろう辺りも同じである。故に文次郎は、何も問わずに有り難く文を受取って、一応教職員に
挨拶をして回ると、学園を後にした。
『曼珠沙華』を書いた時からやろうと思っていたネタ
書きたかったのは、格好良い土井さんと、左近ちゃんの嫌そうな対応です。
正直次の話も合わせた寄り道編は、話の筋的にも寄り道かつおまけみたいな物なので、新事実はほぼありません。
けれども、完全な無駄足ではない。そんな風に感じていただけると良いんですが……
2009.10.12
戻 一覧 進