受験前。幾つか見学しに行った高校の一つで、通りすがりの在校生が、僕―と滝―を目にするなり、立ち止まって
	呆然とした顔で「……綾ちゃん?」と呟いた。その人が誰なのか、僕にはすぐ判った。
	だけど滝は怪訝そうな顔をしたから、試しに矢羽音で
	『十分後に美術室前に来て下さい』
	と語りかけると、同じく矢羽音で了承の答えが返ってきたので、タイミングを見計らって、お手洗いに行くふりを
	して美術室前に向かった。


							◇

	「お待たせしました」
	「ううん。大丈夫、そんなに待ってないから。……えっと、綾部喜八郎くん、だよね?」

	昔と同じ、どこか気の抜けた笑顔で笑ってから、不安そうに僕にそう問い掛けた在校生は、

	「はい。……あなたは、斉藤タカ丸さん、ですよね」

	僕が答えるなり、タカ丸さんは頷きながら涙を零し始めた。

	「うん。……逢いたかった。ずっと、ずっと。……オレは全部覚えているのに、他には、誰も覚えている人が
	 居なくて……」

	それがどれだけ辛いことか、生まれた時から滝も金吾も居た僕には、想像することしか出来ない。けれど、傍に
	居て、性格は殆ど変わっていないのに、何も覚えていない滝をもどかしく感じたことはある。だからつまりは、
	そういうことなのだろう。

	「……オレんち、今もまた美容院で、オレも美容師を目指してるんだ。で、その為には、高校を出た後で専門学校に
	 行くのが一般的なんだけど、オレ馬鹿だから、ここに入る前に一浪してて、父さんのことも祖父ちゃんのことも
	 尊敬してるのに、本物か解らない『前世の記憶』ってやつに振り回されているんじゃないか。とか思っちゃって
	 真面目に勉強しなかったから、二度目の一年生をやることが決まったばかりなんだ」

	つまり、今世でもタカ丸さんは2歳上で、僕がこの高校に入ったら同級生になるということか。

	「でも、それは全部、綾ちゃんに逢う為だったのかもしれない。そう思っても良いかな?」
	「そう思うことで、タカ丸さんが救われるのならご自由に」

	僕も、一応金吾の存在に救われているし。

	「ありがとう。……所で、綾ちゃん今は何て名前? オレは『斉藤 隆』っていうんだけど」
	「綾。『平野 綾』です。だから、滝があんなに驚いた顔をしていたんです」

	ちなみに、生まれたばかりの僕を見た金吾が、うっかり『綾部先輩』と言いかけ、僕の親が「綾」だけ拾ったのが
	由来だったりするらしい。

	「あー、やっぱりあの一緒に居た人、滝ちゃんだったんだ。お母さんにしては若い感じだったから、お姉さんか
	 何か?」
	「ええ。詳しいことは今説明していると長くなるので、とりあえず携帯出して下さい。連絡先送ります」

	お手洗いに行くふりをして来たから、そろそろ戻らないと不審に思われる。

	「うん。解った。……じゃあ、連絡待ってるね」


							◇


	タカ丸さんと別れ、滝の元へ戻ると、幸い何も疑われなかったけど、帰りの電車内で「あそこを受ける」と
	言ったら、とても驚かれた。確かに、一応見学には行ったけど、僕の成績からすると、安全圏の下の方の
	レベルの高校だから、滝としてはもう少し上を目指させたいのは解らなくも無い。だけども、本当の理由を
	言わずに、それでも「どうしても」とだけ主張していたら、割とアッサリ折れてくれた。曰く

	「お前の理屈は、私には解らないが、一応何かしら筋は通っているのだろう?」

	だそうだ。流石滝。よく解ってくれている。しかもその後の三者面談の時も、「考え直せ」とか力説する担任に
	向かって、同じようなことを言い切ってくれて反論は受け付けなかったから、結局僕はタカ丸さんと同じ高校へ
	進学出来ることになった。

	その一方で、金吾に全部話したのは、見学から帰った直後で、
	「ウチに呼んでも良いと思う?」
	と訊いてみたら、とりあえず止められた。

	「ただでさえ、友達すらロクに居ないんですから、いきなり異性を家に招いたりなんかしたら、姉さんが驚くでしょうが」

	それは確かに尤もな言い分だけど、こうやって昔みたいに敬語でしゃべることがあるから、混乱するんだと思うん
	だけどなぁ。

	「とりあえず、いすずと庄や、時友先輩達とか他にも前世のことを覚えている人にも声を掛けてみますから、
	 都合の合う日にファミレスか何かで会えばいいでしょう?」
	「いきなり沢山会わせても混乱するだけだろうから、ひとまず伊助と庄左ヱ門位で良い。けど、一応他の人達にも
	 連絡はしといて」

	金吾の同僚で、高校からの先輩の時友四郎兵衛―今の名前は、聞いたけど忘れた―とか、幼馴染の伊助―今は「いすず」
	って名前で女―を経由すると、そこそこの人数に繋がるのは知っている。だけど、まずはタカ丸さんと関わりが
	深めだった数人だけにしておいた方がいい。そんな気がした。
	ちなみに、僕らのもう一人の同期だった三木は、滝達の従兄だけど記憶はなくて、タカ丸さんと同じ火薬委員
	だった生徒の中で前世のことを覚えてるのは、僕が通っていた小学校で家庭科の教師をしていた伊助だけ。
	記憶ナシなら、池田三郎次も伊助の同僚教師で居たし、久々知先輩も一個上の先輩だった気がするけど、よくは
	覚えていない。
 
	ともかく、次の週末に集まれることになったのは、僕と金吾と伊助と庄左ヱ門で、場所はタカ丸さんちの近くの
	ファミレス。そこを選んだ理由は、強いて言うなら僕らの知り合いに遭遇し辛そうだから。20代半ば過ぎが3人と
	高校生位2人が集まっていてもそんなにおかしくは無いけど、大人達が子供達に対して敬語使ってて、子供達が
	大人達にタメ口利いてたら変だし―金吾には、「そこは気をつければちゃんと話せるだろ」って叔父モードで
	言われたけど、むしろ金吾が一番混ざる可能性高いと思う―、会話内容も傍から聞いてたら、絶対におかしい
	感じになるだろうし。



2010.8.8



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