「今度こそ幸せになれるように」との祈りを込めて「千幸」と名付けられた、かつて「伊作」だった
	少女は、まるで「3度目の正直」とでもいうかのように、幸運とまではいかないが強運で、しかし
	「2度あることは3度ある」を体現するのかのように、時折予想外の不運見舞われた。
	その中でも最たる出来事は、3歳の時に前世の姉である母に連れられ出掛けた際、横断歩道の手前で
	靴ひもが切れたので、つないでいた手を放して立ち止まった、次の瞬間。ほんの少し先を歩いていた
	母が、信号無視のバイクにはねられたことだった。

	その時の事を、彼女は今でも
	「僕なんかの姉さんで母さんじゃなかったら、あんな目に遭わなかったかもしれないのに」
	と、己が不運に巻き込んでしまったのだと、悔み続けている。
	その辺りの因果関係について、「違う」と断言できるだけの根拠を持った者は居ないが、15歳で
	親友を喪い、20歳で子持ちやもめになってしまった、元親友兼父親の留三郎が、
	「気に病むより、その分幸せに長く生きろ」
	事故当時からずっとそう言い聞かせ、他の友人達共々、目一杯慈しみ、甘やかしながら育てられてて
	くれている。

	そんな中。文次郎1人だけ、頑なに「伊作の死は自殺だった」と主張し続け、千幸に対しても妙に
	距離を置いた態度を取っているが、その理由はいくら問い質そうとも一切答えず、また千幸自身も、
	現代の方も室町の方も、死んだ時の状況や死ぬ数日前の記憶だけ残っていない為、文次郎の言動の
	根拠は、皆目見当がつかないのだという。

	ただ、室町で命を落としたのは、まだ20代か三十路を迎えたばかりの頃で、長患いをしていた訳では
	ない気がする。ということだけはうすぼんやりと覚えており、それを口にしても文次郎の表情が険しく
	なることも、気になってはいた。

	しかし室町の伊作の死因に関しては、仙蔵が何かを知っているようなのだが、
	「ちさが思い出すか、馬鹿文次郎が口を割ったら教えてやる」
	と言って口を割ろうとしないため、やはり不明のままで、更に仙蔵は、現代の伊作の死が純然たる
	事故だったと言い切る根拠も持っているようで、そちらの根拠は留三郎や長次も同じ確証を持って
	いるそうだが、文次郎が気付くまで言う気は無いのだという。


	そうした謎や秘密を抱える一方で、仙蔵は千幸が生まれた時から、
	「16になったら嫁によこせ」
	などと留三郎に要求し、千幸本人にも「嫁に来い」と口説き続けており、理由については
	「400年以上前から想いを寄せていて、折角異性として生まれてきたんだ。コレ以上の好機はなかろう」
	と、どこまで本気なのかは定かではない―本人曰く「100%本気だ」とのことらしい―ことを言っている。

	そんな仙蔵の言動に対し、留三郎は娘を溺愛する父親として反対し、長次や小平太は少々呆れつつも
	「千幸の味方」と称して中立の立場に立ち、千幸本人は未だ本気に取るか悩み中。という状況だが、
	文次郎は「我関せず」という態度を取ろうとしているが、どちらに転んでも複雑そうにも見えるのも、
	謎の1つだったりする。





2010.1.6


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