私達の学年には、諸事情により途中編入してきた、斉藤タカ丸という生徒が居る。詳しい経緯などは省くが、
	彼は編入以前は町でお父上の元で髪結いとして働いており、年齢だけなら我らより二つ上の、六年生と同じ
	十五歳である。
	町育ち故か、髪結いの特性か、はたまた彼の生来の性質かは知らぬが、タカ丸さんはやけに人懐こくにこやかな
	人だった。加えて、下手に出ることも謙ることも厭わぬ人で、解らないことがあれば、躊躇なく他人に訊いて
	いた。しかしその一方で、時折妙に含蓄のある発言や、大人な言動も見られ、
	「真に経験豊富な人間というのは、この人のような人を指すのではないだろうか」
	などと感じられることもあった。
	そのタカ丸さんに、例の噂の真偽について尋ねられたのは、先生に言われて、放課後課題の手解きをしていた
	際の、休憩中のことだった。
	訊ねられた私は、まず初めに耳を疑い、次にその噂が未だに残っていたことを苦々しく感じ、続いてそれを
	キッパリと否定した。
	「根も葉もない、真っ赤な偽りの噂です。まさか、そのような流言を信じていらっしゃるわけありませんよね?」

	「うーん。半信半疑、ってところだったかな。ほら、綾ちゃんて、あんまり自分のこと大事にしてなさそうだし」
	確かにその見解は、大筋では間違ってはいない。しかし重要な点が欠けている。
	「この私や立花仙蔵先輩が、そのような自分の安売りを、認めるとでもお思いで?」
	実際の所は、ああ見えて喜八郎は、意外と潔癖な面も脆い面も持ち合わせているから有り得ないのだが、
	そこまで教えてやる義理など無いので、解り易い方の根拠だけを口にした。
	「そっかぁ。そうだよね。綾ちゃん、滝ちゃんや立花さんに、すっごく大事にされてるもんねぇ」
	「ええ。私の可愛い妹分です。もっとも、本人がどれだけ私達の有難味を解しているかは、定かではありませんが」
	
	本当は、懐かれていることも、一応特別視されているらしきことも解っている。けれど周囲に、それを理解
	出来ている者は殆ど居ないので、対外的にはこうやって苦笑することで済ませてる。……ごく稀に甘えてきた
	時などの喜八郎の可愛らしさを、誰がわざわざ喧伝してやるものか。勿体ない。
	「そうかなぁ? 綾ちゃんは、立花さんのこと尊敬してるし、滝ちゃん大好きだと、オレは思うけど」
	「……。何を根拠に、そのように思われますか?」
	「だって、立花さんや滝ちゃんの言うことはちゃんと聞いてるし、滝ちゃんと居る時の綾ちゃんは、楽しそうに
	 見えるもん」
	驚いた。大抵は、私が勝手に喜八郎の世話を焼いていて、「一方的に恩を押し付けている」とまで言われて
	いるのに、そんな風に見抜いていたとは。しかも、付き合いの浅い転入生だというのに。
	「タカ丸さんは、喜八郎のことをよくお解りですね」
	「そうかなぁ。……何か、気付いたら目で追ってて、色々知りたくなって、それからずっと見てるから」
	それは、つまり……
	「うん。多分、一目惚れだったんだと思う。最初はただ、『綺麗なのに変わった子だなぁ』って興味が湧いた
	 だけだったんだけど、その内に『笑ったとこみたいなぁ』とか、『こっち見ないかなぁ』とか思うように
	 なって、それで気付いたんだ」
	「そうですか。……喜八郎自身には、まだ想いを伝えてはいないのですか?」
	ひとまず、私が喜八郎から何の報告も受けていないということは、まだ想いを伝えていないということだろう。
	いくら喜八郎でも、そんなことがあれば、私に相談なり報告の一つもして来ているに決まっている。
	「ううん。気付いてすぐに告白したよ。そしたら『何の冗談ですか』って言われちゃった」
	「……それでか」
	「ん? 何が?」
	「いえ。何でもありませんので、お気になさらず」
	この所喜八郎は、校庭の隅の倉庫の陰などの解り難い場所で、自力では出られぬ程の、深い穴を掘っている
	ことが多かった。
	初めに話したが、喜八郎は穴を掘ることが趣味で、機嫌が良くても悪くても穴を掘る。けれど、その時の
	気分によって掘る穴の数や種類が違うことを知っているのは、私と立花先輩の他には、精々浦風藤内位しか
	居ないだろう。
	例外もあるが、狼穽など数が多い場合は、浅いものを大量生産しているのは機嫌が良く、深ければ苛立って
	いる証拠になる。そして、あまり人目につかない場所で、ひたすら深く深く掘り続けている時は、落ち込んで
	いたり哀しいことがあった時だ。ということはつまり、深い穴の中で私に見つけ出されて引き揚げられるのを
	待っていたということは、相当に凹んでいた証拠というわけである。

	「……タカ丸さん。貴方が、先程私に訊ねた噂を聞いたのは、何時、誰からですか?」
	私の推測が合っているならば、おそらく――
	「綾ちゃん自身から、何度目かの告白した時に、だよ。珍しくすごく嫌そうな顔で、『噂を鵜呑みにして
	 いるのなら、とんだ見当違いです』だってさ」
	ああ。やはりそうか。喜八郎の側からもきちんと話を聞かねば断定は出来ないが、奴がタカ丸さんの告白を
	どう受け止め、何を考えたのか、大体分かった。
	「失礼な事をお訊きしますが、貴方は、真剣に喜八郎のことを想って下さっていますか? それとも、単なる
	 興味を満たすだけの、遊びのおつもりですか?」
	「わぁ。すごく率直な訊き方だね。でも、仕方ないのかな。オレが昔、結構遊んでたのは本当のことだし、
	 その頃の与太話なんかも、いっぱいしたもんね」
	町育ちで、元髪結いで、話術が巧みで人当たりが良い十五歳。そんなタカ丸さんは、当然のごとく人生経験も
	女性経験も豊富で、本人にそのつもりはなくとも、聞く側にはこの上ない自慢話に聞こえる体験談を聞かせて
	もらうことが、男子の間で流行っているらしい。だから、喜八郎のことも「毛色の変わった子に手を出して
	みようか」程度のことなのだろうと、喜八郎本人は捉え、人知れず傷ついたのだろう。そう、私は解釈した。
	「それで、どうなのです?」
	「最初は好奇心。でも、今は本気なつもりだよ」
	再度問うた私へのタカ丸さんの答えは、口調は普段通りの砕けたものだったが、その目は真剣そのものだった。
	「ならば、及ばずながらこの私が、協力して差し上げましょう」
	その言葉を全面的に信用したというわけではないが、タカ丸さんは、そこらの馬鹿男子よりは多少マシな
	ように思えるし、恩は売っておいて損はない。それに、特定の相手がいた方が、噂も収まり易いだろう。
	……となると、まずは喜八郎に質して、感触を確かめることからだな。