己はいつだって、重要な場面で、一番間違えてはいけない言動を間違える。誰に指摘されなくとも、
		その自覚が文次郎にはキチンとある。
		そしてその所為で、伊作に泣かれたりキレられたりしてきた中で、最も言うべき言葉を間違えたのは
		14年前。妊娠が発覚した際に、照れ隠しに失敗して
		「仕方ないから結婚でもするか」
		と口走ってしまい、思い切り引っ叩かれた挙句に
		「絶対に嫌」
		と返された時だというのも、重々よく解っている。

		そこから4か月近く押し問答を繰り返した後、どうにか籍を入れ、失敗したプロポーズの代わりに
		誕生日プレゼントも兼ねて結婚式的なものを企画したことや、伊作の実家でマスオさん状態になる
		のではなく、恥を忍んで父に頭を下げて自分の実家で暮らし始めたのも、それが逆に負担になって
		いたと知って家を買ったのも、文次郎なりの精一杯の誠意だった。そうやって―失敗したり後手に
		回ることはあれど―どうにか補填し、自分の非は潔く認め、言い訳は極力しない。そんな文次郎は、
		実は結婚記念日に当たる日も伊作や数馬の誕生日も、日付はきっちり覚えている。けれど年度末の
		バタバタの中で「今日が何日なのか」が曖昧になった結果、指摘されて初めて「今日だったのか」と
		気付く為、「忘れていた」と認識されてしまっている。そのことに関してだけは、言い訳をしたこと
		がないのが逆効果になっていたのではないか。と思い至ったのは、伊作の家出理由の根底にあるもの
		に気が付いた時だった。



							vvv



		「僕が、何に一番怒ってるか、気付いた?」

		羞恥プレイとしか思えないサンタコスで文次郎が新野家に顔を出し、子供達がひとまず寝るまでの間。
		伊作は適当に見繕った食事を運んで来た以外は、殆ど文次郎の居る部屋に戻って来ず、子供達相手に
		サンタを演じ切った後、大人だけで別室で多少飲み食いしている間も、兄姉とばかり話していた。
		けれど、誰よりも早く切り上げて子供達の様子を見に行くと、文次郎を促して部屋に戻り、試すように
		笑ってこう訊いてきた。

		「多分。俺なりの解釈だが」

		きっかけは記念日を忘れたことだろうが、一番はそこでは無い。それを証明するように、伊作は続けて

		「君にとって、僕は何?」

		と文次郎に問いかけた。

		「伊作」
		「は? え、何その、想定外の答え」
		「嫁さんやガキ共の母親である以前に、お前はお前だろ? ……って、何でここで泣くんだよ」

		薄々と家出理由に勘付いてから、周囲に色々確認を取ってみた際。雷蔵から母の日のグチ内容を、
		小平太夫妻からは、同じく出来婚な彼らと自分達の結婚騒動の一番の違いについてを聞かされて
		導き出された文次郎の答えがコレだった。
		かつて、社会人1年目で受験生を妊娠させたにも関わらず、かなりあっさりと結婚を許された理由に
		ついて「何が違うってんだよ」と、文次郎は小平太達に訊いたことがある。その際
		「俺は、『順番違っちゃったし、早すぎるかもしんないけど、滝のこと好きで、滝と家族になりたい
		 から』ってちゃんと言ったもん」
		と返されたが、当時はその意味が良く解らなかった。それを今回もう一度考え直させられ、ようやく
		自分の失言のどこに伊作が一番引っ掛かっていたのか気付いたのだ。

		「だって、何で君は、こう、毎度散々外してから、模範回答の上をいくんだよ」

		今まで一度も口に出したことは無いが、周囲に冷やかされ付き合いだした高校時代よりも、姉照代に
		せっつかれ仙蔵や留三郎にいびられていた中高時代よりも、うんと前。保育所で「ぷきょっ」とかいう
		訳のわからない声を発しながらこけていた頃から、文次郎は伊作に惚れている。それがうまく伝わって
		いなかったことを反省し、かといって気の利いたことや甘い言葉は性に合わないので、色々考えた結果
		文次郎が思い付けたセリフは

		「今更かもしんねぇけど、俺はお前良いんだが、お前は俺良いのか?」

		という、微妙なものだった。

		「……。僕だって、君が良い。でなきゃ、こんなに長い間君と一緒には居ないよ。だから14年前、
		予想済みだったとはいえ『仕方ないから』って言われたのが、凄く哀しかった」

		正直な所、伊作とて文次郎が初恋みたいなもので、他の相手と付き合ったことが無いので、この程度の
		レベルでも充分だったりするらしい。そんな反応に少しほっとした文次郎は、「悪かった」などと言い
		つつ、小さな箱を伊作に手渡した。

		「? クリスマスプレゼント?」
		「いや。それは別にある。……これこそ、『今更』なんだけどな」

		キョトンとした顔で伊作が開けてみた箱の中身は、シンプルな銀の指環だった。

		「結婚指環? でも、14年前要らないって言ったよね。しかも経済的余裕の問題だけじゃなくて、
		 小さい子の相手する時は着けてられないから。って理由もちゃんと」
		「……。普段は着けなくて構わねぇから、とりあえず持ってろ」

		伊作は仕事中もプライベートでも、「怪我させたり、間違って飲んでしまったりしないように」と、
		アクセサリーの類を一切身に着けない。そのことを文次郎はよく解っているが、少なくとも自分達の
		子供は全員、もう誤飲の危険性があるような年ではないので、ある意味いい機会だと思って購入した
		のだという。

		「その上、サイズあってないし」
		「マジか!? スマン。直しに出すから、ひとまず返せ」

		とりあえず嵌めてみた所、明らかに緩いのが傍目でもわかり文次郎はあわてたが、伊作は指環を
		嵌めたまま手を上にかざし、愛おしげに笑って首を振った。

		「でも、多分結婚した当時なら、ぴったりだった筈。だから良いよ、直さなくて」

		基本的に伊作は、10代の頃から服などのサイズはほとんど変わっていないが、仕事と家事に追われて
		いる内に指は細くなっていたようで、文次郎が1度だけ勇気を振り絞って買いはしたが贈れなかった
		指環のサイズとは変わっていたらしい。その指環の存在を、伊作は照代からこっそりと聞いて知って
		おり、当時のサイズを覚えていてくれただけで充分だった。

		「チェーンに通して服の中に入れちゃえば、多分仕事中でも大丈夫だろうし。……文次の分も、
		 お揃いであるの?」
		「ああ。一応な」
		「じゃあ、文次は会社にちゃんと着けてってね。で、周りの人に何か訊かれたら、『無くしたと思って
		 いたのが見つかった』みたいに答えて?」

		そんな風に嬉しそうに微笑む伊作に、文次郎は
		(やっぱ、その内一緒に出掛けた時にでも、ついでに直しに出すか)
		などとこっそり考えた。何しろわざわざ指環を買った理由の一つに、周囲―特に某ストーカー―への
		牽制の意味も含まれていたので、出来るなら解り易く身に着けて欲しかったのだ。





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		「今後は、ちゃんと言葉とか態度に表してね」

		翌朝。子供達に帰り支度をさせながら、伊作は最終確認のように文次郎にこう要求した。

		「解った。努力する。が、親父さんや留三郎レベルを求めるなよ」
		「えー。じゃあ、こへレベルは?」
		「それも俺には無理だ」




		などと、無駄に甘ったるいやり取りをしている両親を冷めた目で見ていた数馬と左近は、
		「あーあ。母さん完全復活。これで当分のろけ地獄かなぁ」
		「うん。それにしても、デレた父さんは予想以上にウザい……」
		などとヒソヒソ囁き合っていたが、それでも内心はほっとしていたとかいないとか。





あーまーいー。くーさーいー。砂吐きそうー。もう勝手にやってろアンタら。 という訳で、思いの外長くなった上、一部ちょっと暗くなり掛けたのはご愛敬☆な家出編は、 コレでひとまず終了です。 しかしながら、14回目の結婚記念日話とか、結婚までのゴタゴタ編も書きたいので、 このシリーズは、まだまだ増える予定です。 2009.12.13


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