僕―斉藤三木ヱ門(27) とある中堅企業の経理課勤め―の上司に、潮江文次郎という人がいる。
通称は「鬼の潮江」。勤続16年目で役職は課長。1円単位で経費削減しようとする締まり屋で、
言い方はキツいし目つきが悪いので、若い―特に女子―社員にはだいぶ怖がられている。
というか、影では「煩い40前のオヤジのくせに」「どうせ独身でしょ」などと嫌われていたり
しているが、実際は老け顔なだけでまだ30代前半―高卒でうちの会社に入ったらしい―だし、
結婚も早い方だったようで中学生から保育園児までの7人の子持ちで、奥さんは結構美人で
気立てが良いのを僕は知っている。
というのも、僕の姉―滝夜叉丸―の夫である小平太義兄さんのお姉さんが、潮江課長の奥さんなので、
浅からぬ付き合いがあるのだ。
そして、ここからが一応本題。
課長は自ら経費削減の手本になるために、ほとんど残業をしないんだが、ここ最近は残った仕事を持ち
帰ってでも定時に上がるようにしているのに加え、眼の下の酷い隈がトレードマーク化しているのは
昔からだけど、より一層濃くなっている気がする。
その理由か何かを知っているか、滝夜叉丸の所―月に1度くらいは顔を出せと言われている―で夕食を
食べながら訊いてみると、微妙な顔をされた。
「……。お義姉さんが、家出されたそうだ」
「それは、子供達を置いてなのか?」
あの、面倒見の良い奥さんに限ってそれはなさそうに思えたが、それでないと理由にならない気がした。
課長一人だったら、急いで帰る必要は別にないし、家事もそう大変ではないだろうから、隈も酷くは
ならないと思う。そんな僕の疑問に答えてくれたのは、義兄さんだった。
「いや。半分連れて、半分置いてったんだ。自分たちで選ばせて、残ったのは左門と団蔵と左吉」
…納得した。その3人の内2人―左門と団蔵―は、あの家で最も手のかかる子供達で、残る左吉は
状況を鑑みて、上の2人のストッパー役として残ったということだろう。
さらに一応理由も訊いてみると、課長が結婚記念日やら奥さんの誕生日―と、ついでに長男数馬の
誕生日も―を、ことごとく忘れていたことにキレて出て行ったのだという。
確かにそれはちょっと課長にも問題があるかもしれないが、そこまですることか?
などと考え、そのまま滝夜叉丸に言ってみると、鼻で笑われた。
「いいか三木。男が考えている以上に、記念日というものは大切なものなのだ。しかも、うちの
小平太さんですら、イベントごとにそれなりにマメなのは、あのお義父さんとお義兄さんの影響
であり、それはつまり、お義姉さんもその感覚に慣れている。ということになる。だから、3年
以上耐えただけ見事なのだと、私は思う」
訳知り顔で解説する滝夜叉丸に、「そりゃお前の感覚だろ」と返したかったが、すんでの所でその
言葉は飲み込んだ。…思い当たる節があったからだ。
「ちなみに、その結婚記念日や誕生日って、最近のことだったりするのか?」
「ああ。2月3月にまとまっているからこそ、全部すっぽかされたのを怒っておいでだ」
「……僕、その問題の日に課長と飲んでた中に、いたかもしれない」
詳しい日付を確認すると、間違いなかった。しかも、結婚記念日にあたる日に至っては、店で飲んだ
後で、数人で課長の家に流れたんだけど、にこやかに迎えてくれた奥さんが、つまみを用意してくれて
いるのを手伝おうとしたときに、一瞬殺気を漂わせているのを見た気もするし。
翌日。僕は滝夜叉丸達から話を聞いた事を課長に話し、少し協力することを申し出た。
何だか、そうでもしないといけないような気がしたからだ。
さきちゃん(左吉)の次くらいに可哀想な、部下の三木君でした。
彼に非は全く無いはずですが、ちょっと申し訳なく思っちゃっている模様。
ちなみに彼はたぶんシスコンです(笑)
2009.4.16
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