「あの、伊作さん。家出したのって、本当に記念日忘れられたことだけが原因なんですか?」

	母の日の日曜日。朝一番に自分の子達にカーネーションや贈り物をもらって、その後洋おじさんと
	数くんに他の子達を任せて、ちょっと一人で出掛けてから、帰って来て子供達も連れて実家に行き、
	母さんの仏壇にカーネーションを供え、父さんが「子供達は引き受けるからゆっくりしていていい」
	って言ってくれたのでありがたく任せて、雷蔵さんに「毎度芸がありませんが」とハンカチを贈って
	から、二人でのんびりお茶を飲んでいたら、ふとこんなことを訊かれた。その目に、
	「もし差支えないようなら、聞かせてください」
	って、すごく控え目に書いてあるように見えて、何となく「この人なら解ってくれるかな?」っていう
	気もしたし、誰かに話したかった気持も少しあったので、内緒話めかして話してみることにした。



	「少しだけ違います。父さん達には言わないで欲しいんですけど、……不安になったんです。文次郎と
	 夫婦でい続けることも、彼にとって『当たり前』になってしまっていることも」

	父さんにも、留兄にも仙にもこへにも言えない、僕の本音。だけど雷蔵さんになら言えるのは……


	「雷蔵さんと鉢屋と同じ様に、僕達も幼馴染当たるのは知っていますよね?」
	「はい」
	「僕らは3歳くらいの時からの付き合いなんですけど、実は告白らしきものを、一度も受けたことが
	 無いんですよ。文次郎から」
	「……。え?」

	信じられませんよねぇ。特に鉢屋は、「好きだ」だの「愛してる」が、口癖化してたみたいですし。

	「長い付き合いなので、向こうが何考えてるのかは、大体分かりますし、なし崩しにこうなったとは
	 いえ、後悔はしていませんよ。…でも、たまにでいいから、言葉なり態度が欲しくなるんです」

	仙達には話せないのは、たぶん僕の代わりにすごく怒ってくれて、文次を責めてくれるから。でも、
	それじゃダメなんだ。強要されたものじゃない、本心からのものが欲しい。13年前に、その機会を
	逃してしまっているからこそ、余計に。

	「……少しだけ、昔話してもいいですか?」
	「どうぞ」





						×××



	知り合ったのは保育所で。文次も僕も、洋おじさんと母さんの教え子なんで、小さい時のことは全部
	おじさんが覚えているんですけど、それによると文次は、普段は僕に突っかかってくせに、他の子が
	ちょっかい出そうとすると庇ってくれる、「好きな子ほどいじめたい」の典型のような子だったとか。
	で、小学校も一緒だったんですけど、小学生になっても割とそのまんまで、留兄や仙にしょっちゅう
	いびられてました。ちなみに、お姉さんの照代ちゃんと仙は友達なので、そっちにも色々言われてた
	みたいです。だからかな。年々ちょっとずつ優しくしてくれたりしたから、何だかんだ言って、付き
	合いが続いたんじゃないかと。
	高校は同じだったけど、中学は別。…ってのは知ってますよね? 文次は父さんの教え子で、鉢屋や
	雷蔵さんの先輩だったわけだし。当時は直接会ったことないですけど、鉢屋の話は文次経由で聞いて
	いますよ。ええ、そりゃもう、色々と。
	
	えーと、話が逸れかけましたね。僕と文次が付き合いだしたのは、一応高校時代です。中学までは
	たまに会ったり遊んだりもするような、単なる「友達」程度で、高校に上がってからも僕の中では
	あまり変わらなかったんですけど、周りに「実は付き合ってるんじゃないか」とか冷やかされてる
	内に、否定するのが面倒臭くなってきて、どちらともなく「じゃあ、そういうことにするか」って
	感じに。まぁ、それまでもバレンタインデーとかクリスマスとかのイベントに付き合わせてたりは
	してたんで、実を言うと、ほとんど何も変わらなかったような気もしますけど。

	でも、付き合い始めて改めて意識してみたら、僕結構文次のこと、好きだったみたいなんですよね。
	それで自覚してみたら今度は、文次の側がどう思ってるのかが気になって来て、仙達にそれとなく
	訊いてみたら、訊いた全員から思いっきり呆れられました。……留兄が、文次に本気で同情したの
	って、アレが最初で最後じゃないかなぁ。


	そんなこんなで、文次本人からは具体的な言葉は貰えないまま、ずるずると関係が進んで行って、
	確証が欲しくなったのは、数くんがお腹にいるのが判った時。周りには、貧血を起こして病院に
	運ばれた時まで気付いてなかった。って言ってあるけど、本当は薄々気付いてたのに、確かめる
	のが怖くて誤魔化していただけなんです。……中学生ですら、「もしかして」って考えることを、
	二十歳にもなって考えないわけないでしょう? 心当たりはあったんですから。

	怖かったのは、文次の反応です。「そこまでのつもりはなかった」「堕ろせ」も、言われたら嫌だとは
	思っていましたが、本当に嫌だったの別の言葉で、しかも文次は、僕の想像と一言一句違わないことを
	言ったんです。

	「仕方無いから結婚するか」

	もちろんその場でぶん殴って、「絶対に嫌だ」って返しました。当たり前ですよね? 嫌々責任とって
	もらうくらいなら、一人で産んで育てます。うちの場合、仙っていう前例もいたことですし。

	そこから揉めに揉めて、結局出産間際に籍を入れたのは、僕が折れたからなんですよ。確かに文次も、
	粘り強く食い下がってきましたけど、根本的な所で、僕が何にこだわってたか、今も気付いてないん
	じゃないかと思います。だから折れたのだって、言い争いに疲れたのと、父さんの娘を2人共未婚の
	母にするのは、忍びなかったってだけなんです。……気にしない振りはしてましたけど、貴女の例を
	思い返しているのは解っていましたから。だから再婚話を聞いた時も、すぐに納得が出来たんです。
	きっかけや意味合いは何であれ、「ずっと気にしていた」ということなわけですからね。


	だから僕は、貴女が羨ましいんですよ。雷蔵さん。娘として、父さんが大事なことはちゃんと言葉や
	態度に出して表わすことは、とてもよく知っていますし、幼馴染だった鉢屋に明らかに愛されていて、
	だから迷わず三郎を産むことを選んだんでしょう? そのことが、すごく羨ましい。あ、でも誤解は
	しないで下さいね。そのことを、妬んでいたりはしませんから。純粋に「羨ましい」ってだけです。



	それでですね。えーと、何が言いたかったんだっけかな。……ああ、そうだ。何か半分流れで結婚
	したけど、数くんや他の子達を産んだのは、成り行きじゃない。文次もそう思ってくれているって
	信じたかったから、結婚記念日も、あれだけあった後に生まれた数くんの誕生日も忘れられたのが、
	すごくショックで哀しかったんです。

	ここ数年は、色々物入りだったりするし、役職が上がって忙しくなったのは解っているから、前ほど
	家事や育児を手伝ってくれなくても、そのこと自体は構わないんです。ただ、それで「当たり前だ」
	って思われるのは癪だったし、これじゃ、あれだけ嫌っているお義父さんと同じじゃないか。そんな
	風にも感じたんです。

	それなのに、今日亡くなったお義母さんのお墓に行ってきたら、綺麗に掃除してあって、ちゃんと
	カーネーションも供えてあったんです。照代さんかもしれないとは思いましたが、住職に訊いたら
	文次でした。しかも今朝さきちゃん達がくれた花束が、あの子達のお小遣いで買うにはほんの少し
	高価そうなものだったので訊いたら、「お父さんが『これで買え』ってお金をくれた」って。





						×××




	「―母の日だけは忘れないなんて、酷いと思いませんか? それってつまり、文次にとって僕は、
	 もう『子供達の母親』でしかないって意味に思えて来て……」

	先月家を出た時よりも、今日の僕は不安で泣きそうになっていた。多分雷蔵さんは、それを感じ取った
	から、こうして黙って僕の話を聞いてくれたんだろう。…ああ、そうすると父さんも気付いてたかな。


	「これは僕が、昔三郎から聞いた話なんですけど、とあるお店で潮江先輩を見かけたことがあるんだ
	 そうです。僕達が中2の時の話のはずなので、先輩達は高1ですね。場所は、アクセサリーなども
	 置いている雑貨のお店で、三郎は僕へのホワイトデーのお返しを選びに行ったそうで、そこで潮江
	 先輩の姿を見つけ、興味本位で遠目に観察していたら、『散々うろついた挙句、ピンクのヘアピン
	  買ってった』とのことなんですけども、心当たりはありますか?」
	 
	あります。というか、未だに持ってます。16歳の誕生日にもらいました。でもあの時、
	「姉貴のを壊して、弁償させられたついで」
	とか言ってたような。アレまさか照れ隠し? うわ、ヤバい。何か恥ずかしくなってきた。

	「さらに後日談として、『中在家先生に探りを入れたら、娘さんの誕生日がもうじきらしい』とも」

	うぅ。さらに恥ずかしくなってきた。でも、もしかしたら言い訳が本当か、照代ちゃんにせっつかれた
	可能性もあるし……

	「そうかもしれませんが、僕は三郎の『ありゃ硬派気取ったヘタレだな。しかも、格好つけようと
	 して自滅したり、肝心な所を抜かしたりするタイプと見た』という意見を信じていますので」


	…完敗です。にっこりとそんな風に言われたら、これ以上反論する気になれません。鉢屋の性格や
	観察眼については、文次や父さんからも聞いてるし、息子の方の三郎を見てればわかりますもん。
	
	

	ああ、もしかして僕、今の証言みたいなのが欲しくて、雷蔵さんに話したのかな? だとしたら、
	どれだけ年下に甘えてるんだろう。でも、「お義母さん」だからいいのかなぁ?


	「とりあえず、信じて待ってみませんか? ヒント出しくらいなら手伝いますから」
	「はい。…ありがとうございます、お義母さん」


以下ちょっとおまけ 「いえいえ。…所で、いつもお願いしていますが、敬語はよしてもらえませんか?」 「すみませんが、性分的に無理そうです。…ってのも、いつも言っていますよね」 「そうですね。…そういった硬さは、留三郎さんとも似ていますが、潮江先輩とも似ていますよね」 「そうですか? 留兄が聞いたら、かなり嫌がりそうですねぇ」 「……『夫婦は似てくるものだ』と言いたかったんですが」 「あ。そっちでしたか。雷蔵さんも、話を聞くのが上手いのは父さんと似てますよ」 「ありがとうございます。でも、先生の域にはまだまだ届きませんよ」 「それまぁ、人生経験の長さが違いますしねぇ」


潮江夫婦の詳しい結婚騒動については、その内改めて書こうとは思っていますが、こじれにこじれた結果です。 一見どうにか収まっているいように見えるその時のことを、延々引きずり続けた挙句に家出に至ったので、 周囲には理由がイマイチ理解しにくい模様。 前のと一応対のつもりです。 シリアスのつもりが、オチがギャグっぽくなったのは何故だろう? 2009.5.15


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